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ポール・ゴーギャン

ポール・ゴーギャンがこよなく愛したタヒチ
ポール・ゴーギャンがこよなく愛したタヒチ

ウジェーヌ・アンリ・ポール・ゴーギャンは、フランス後期印象派の画家。印象主義的画風から出発し、浮世絵、ロマネスク彫刻、民俗工芸など多角的な影響のもとに、新しい画風を形成し、その象徴主義的テーマ、装飾的な画面構成、主観性の強い色彩などの点で、ナビ派などに直接影響を及ぼしただけでなく、現代絵画にも多くの啓示を与えたとされる。

1848年、ルイ・ナポレオンのクーデター、二月革命の年の6月にパリに生まれたウジェーヌ・アンリ・ポール・ゴーギャン(Eugène Henri Paul Gauguin,)は、生まれてまもなく、革命後の新政府による弾圧を恐れて南米ペルーのリマに亡命。ポールが1歳になる前に父は急死し、残された妻子はペルーにて数年を過ごした後、1855年、フランスに帰国する。

フランスに帰国後、ゴーギャンはオルレアンの神学学校に通った後、1865年、17歳の時には航海士となり、南米やインドを訪れる。その後、証券会社に勤め、デンマーク出身のメット・ガットと結婚、五人の子供に恵まれ、最初は、趣味として絵を描いていた。

印象派展には1880年から出品しているものの、一介の日曜画家にすぎなかった。1886年以来、ブルターニュ地方のポン=タヴェンを拠点として本格的な画業をはじめる。

この頃ポン=タヴェンで制作していたベルナール、ドニ、ラヴァルらの画家のグループをポン=タヴェン派といい、ゴーギャンはその中心人物と記録にある。ポン=タヴェン派の特徴は単純な輪郭線で区切られた色面によって画面を構成するのが特色でクロワソニズム(フランス語で「区切る」という意味)ともいわれていた。

1887年夏、ブルターニュのポンタバンに最初の滞在。翌年マルティニーク島に滞在。この頃から、浮世絵やセザンヌの啓示下に画風に変化がおこり、1888年の二度目のポンタバン滞在では『ヤコブと天使の格闘』(エジンバラ、スコットランド国立美術館)などによって総合主義を確立してゆく。

1888年には南仏アルルでゴッホと共同生活を試みるが、2人は衝突を繰り返し、ゴッホの「耳切り事件」をもって共同生活は完全に破綻の道を辿ってゆく。一般的にゴッホが自ら耳を切ったとされるこの事件だが、近年では、ゴーギャンが振りかざした剣がゴッホの耳にあたったという異説も唱えられている。

しだいに西洋文明に絶望してゆくゴーギャンは、楽園を求め、1891年4月に作品の売り立てを行い、南太平洋(ポリネシア)にあるフランス領の島・タヒチに渡ったのである。南の島に野性を求めたが、実際にはある種の幻滅を味わったが、『われマリアを拝す』(メトロポリタン美術館)、あるいは著作『ノア・ノア』(シャルル・モリス編で97年より『ルビュ・ブランシュ』誌に掲載)を完成させている。

しかし、彼が夢に見ていた楽園ではなく、タヒチでは、貧困や病気に悩まされたゴーギャンは帰国を決意し、1893年フランスに戻る。叔父の遺産を受け継いだゴーギャンは、パリにアトリエを構えるが、絵は売れなかった。パリに居場所見つけられなかったゴーギャンは、1895年にはふたたびタヒチに渡航した。

タヒチに戻って来ても、相変わらずの貧困と病苦に加え、妻との文通も途絶えたゴーギャンは希望を失い、死を決意した。こうして1897年、貧困と絶望のなかで、遺書代わりに大作『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』(1897・ボストン美術館)、『ネバ・モア』(1897・コートールド美術館)など、もっとも充実した制作がなされたともいえよう。後にボラールや若干の愛好家たちの援助によって、『花を抱える娘』(1899・メトロポリタン美術館)などの魅惑的な作品を制作。

概してこれらのタヒチ時代の作品は、かならずしも同地の風俗の忠実な描写ではなく、さまざまな発想源から構想されたもので、楽園の神話を求めるゴーギャンの内面の産物であることが伺えよう。

1901年、マルケサス諸島のヒバ・オアのアトゥアナに移り、03年5月8日、同地に没した。ゴーギャンは前述の『ノア・ノア』以外にもいくつかの著作も残しているが、彼自身の生涯と作品に関するなかば小説的な回想『アバン・エ・アプレ』はアトゥアナでの著作といわれている。03年のサロン・ドートンヌでの回顧展は、その後のゴーギャンの評価と影響の契機となったこはいうまでもない。

また画作以外に、版画、木彫、陶器など多様な作品が残るが、これらもゴーギャンを知る芸術の重要な側面であるといえよう。

1919年に出版された、サマセット・モームの小説「月と六ペンス」の主人公のモデルといわれている。

更新日:2009/08/06
文:Carlos Kawashima

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